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  • 2016年01月05日

    救急病院への患者配分最適化問題

    昨日、食当たりを起こしたためか、下痢と吐き気がしてフラフラしたため、やむなく近所の病院へ行きました。

    結果としては、診察してもらい、点滴を打ってもらい、薬を出してもらって終わりだったのですが、夜9時に行って夜12時という、のべ3時間という長丁場。

    別にそんなに混んでいたわけではなく(というか病院内で待機中の患者は数名)、私の診察受付が終わってから救急患者が3名運ばれてきた(そのうち3人目は他の病院へ回送?)からなのです。

    これだけ情報技術の進んだ社会で、救急車が行き当たりばったりに病院へ連れて行って、受け入れキャパシティが足りていないから他病院へ搬送…って、どんな旧時代??

    また、「救急患者が入って来たから」という理由で先に受付を済ませた患者を放ったらかしにして医師・看護師総出でそちらへかかりきり、という体制もどうなんでしょう??

    もちろん、救急搬送されて来たかたには迅速で手厚い医療が必要なことはわかります。
    が、だからと言って、他の、それも先に病院へ自力でやって来た患者をないがしろにして良いものでしょうか??

    あたかも、子供同士のサッカーの試合で、試合全体を俯瞰しないままサッカーボールを全力で追いかける子供ばかり、というような体たらくの動きでした。
    あれが医療のエキスパートたちの実態かと思うと非常に残念な気持ちになります。
    とても組織的・計画的な体制構築や人員配分ができているとはお見受けできない状況でした。
    医療従事者の絶対数が足りていないという話は耳にしていますが、であれば尚更、仕組みでカバーしなければならないところのはず。それが全くできていない。私の近所だけの局所的な事象だと信じたいところですが、果たして本当にそうなのか・・・。

    普段、めったに病院へ行くことのない私ですが、
    今回珍しく病院を利用して、確立が急務であると感じた項目は以下の通りです。

    ・近隣の病院同士での受け入れキャパシティを相互把握する体制
    ・各病院の受け入れキャパシティを、各救急車が把握する体制
    ・各病院における救急患者搬入時の人員配分決定体制

    検索してみると、それなりに研究されている分野であるようには見受けるのですが、
    実際の運用となると、少なくとも私の住んでいるような地方の中堅都市ではまだまだ機能していないようで、
    大きな不安を感じた次第です。

    今後、高齢化が進むにつれて医療リソースの有効活用というのは今まで以上に重要になって来るかと思いますので、
    未来に向けて、改善されていくことを期待したいですね。

    なお、病院から帰り、もらった薬を飲んで一眠りするとかなり体が楽になっていました。
    その点に関しては感謝しきりです。
    診察してくださったお医者さま、処方してくださったスタッフ様、ありがとうございました。
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    tag : 医療 資源配分 最適化

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  • 2016年01月01日

    「新年を祝うという習慣」から考えたこと

    2016年が始まりましたね。

    新年明けましておめでとうございます。

    さて。
    「新年を祝う」という習慣、毎年恒例ですので特に疑問に感じることは無いかもしれません。

    が、私は今まで何十回と迎えてきたこの「正月」なるものの意義を改めて考えているところです。
    いや、「正月」に限りません。
    「クリスマス」だったり、最近で言えば「ハロウィン」だったり。

    日時があらかじめ決まっているそれらはもちろん、「オリンピック」だったり「W杯」だったり、「国全体で一体になって楽しもうぜ!」となれるイベントは意識的に維持していかないとどんどん淘汰されていってしまいかねない、いわば危機的状況にあるのが現代なのかなぁ、ということをふと思ったので書いてみたいと思います。

    まぁ別に「現代」に限らず、そういう事情は昔からもあったかもしれませんが、最近は特に、個々の趣味や関心が細分化される傾向が強まり、かつインターネットに自由にアクセスできるパーソナルコンピュータやスマートフォンを1人1台以上保有して、延々「自分だけのバーチャルな世界」に没頭してしまえる環境が整っているので、共同体の意義が希薄化していく可能性は比較的大きくなっていると言えるのではないでしょうか。

    「国」という単位で社会を統制していこうと思えば、ハード面はもちろんですがソフト面、つまり構成員の帰属意識や共有意識というのは冗談抜きに要になってくるわけです。

    年金問題等で、ただでさえ「国」の安心感というか信頼性が揺らぐ事象が続いているところで、「国」に対する国民の愛着というか帰属意識まで薄まってしまっていっては本当に存続・維持を脅かしかねないわけですね。

    人間というのは基本的に共同体を形成してそれを維持・発展させることで世代を渡って命を繋いできたわけですから、本能的にその状況をマズイと思うセンサーがどこかで働いて、どこかで「一体感を醸成していこうぜ!と言うための理由」を探す性質があるのではないかというのが私の仮説です。

    何もこれが悪いことだとは思いません。
    むしろ、賑やかに楽しいことをやっておまけに景気も良くなる、というイベントの類は私も好きな性分です。
    お賽銭で神社が潤うのも良いことだと個人的には考えています。

    ただ、「国」という枠組みに囚われ過ぎてしまいたくはないなぁ、というのもあるんですよね。
    いわゆる「日本人のお正月」というか、雑煮を食べてお年玉をあげて初詣に行って・・・みたいな過ごし方だけではない文化が存在するという認識とそれを許容するキャパシティ、年によっては異国文化に則った過ごし方を家族で実行してみる行動力・・・といったものもあって良いのかなと思う次第です。

    「世界が狭く」なった、あるいはなっていくがゆえに、自文化のアイデンティティの確立と、異文化との融和の両立が今後も引き続き重要課題であり続けるのだろうなぁと考えた2016年1月1日。

    長々と書きましたが、要は、「自分の所属の空気に惑わされず、自分が心底、好きなものを好きと言う。選ぶ。作る。支援する」生き方をしていこうというお話でした。

    tag : 正月 文化 イベント

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